マルハニチロなどが挑む、砂漠でもできる陸上養殖:「獲る」から「造る」へのパラダイムシフト―アグリテックシリーズ②

かつて「母なる海」と呼ばれた海洋は、今や投資家にとって「巨大なリスクを抱える不確実なアセット」へと変貌しています。

2020年代前半に頻発した記録的な海水温の上昇大規模な赤潮、そして深刻化するマイクロプラスチックアニサキスといった環境劣化。これらは、従来の「海面依存型モデル」がいかに脆弱であるかを、無残なまでの供給停止やブランド毀損という形で露呈させました。海での養殖は、もはや経営を脅かす「コントロール不能な賭け」となっています。

しかし2026年、水産業界は歴史的な転換点を迎えています。 これまでの「天然資源の採取(狩猟)」を卒業し、テクノロジーによってタンパク質を計画的に生産する「精密製造業」へと不可逆的な変貌を遂げたのです。この変革の象徴こそが、閉鎖循環式陸上養殖(RAS)の商業的自立です。

水を99%以上循環させ、AIで環境を完全制御することで、砂漠や都市近郊でも生産を可能にする「海洋からの独立」。これにより、水産業は場所と季節の制約からついに解放されました。

この大転換の核にいるのが、国内最大手のマルハニチロ(1333)です。 同社はもはや単なる水産会社ではありません。自らを「サステナブルなタンパク質インフラ企業」へと再定義し、陸上養殖を最重要の成長エンジンに据え、不確実な「海」から確実な「陸」へと、その資本を大胆にシフトさせています。

マルハニチロの野望 :「垂直統合型」RASプラントの衝撃

2026年、日本の陸上養殖(RAS)市場は「実証実験」の域を脱し、ついに巨大な利益を生むフェーズへ突入しました。その先頭を走るのが、マルハニチロによる壮大なインフラ構想です。

■ アトランド(ATLAND)の成功:2026年の稼働実態

三菱商事(8058)との共同出資により設立された「アトランド株式会社(ATLAND)」は、2026年現在、陸上養殖の商業的自立を証明する国内最大の先行事例となっています。

富山県入善町に位置する同プラントは、冷涼な地下水と海洋深層水を活用することで、RAS最大の弱点であった「冷却コスト」を劇的に抑制。年間約2,500トンのアトランティックサーモンを、一分一秒の狂いもなく出荷し続ける「魚の精密工場」としてフル稼働しています。

■ 「量」より「予測可能性」がもたらす価格決定権

投資家が真に注目すべきは、2,500トンという生産量そのものではなく、その「供給の安定性」です。

天候、赤潮、海洋汚染……。不確定要素に満ちた従来の「水産資源」は、RASによって計算可能な「工業製品」へと置き換わりました。365日計画通りに出荷できるため、大手外食チェーンや小売との間で「固定価格での長期供給契約」を締結。為替や原価高騰の影響を顧客に転嫁できる、極めて強力な価格決定権(Pricing Power)を手に入れたのです。

■ 最強の「Moat(堀)」:バーティカル・インテグレーションの真価

マルハニチロの圧倒的優位性は、単なるプラント運営能力ではなく、全工程を掌握する「垂直統合(バーティカル・インテグレーション)」にあります。

  1. 種苗開発(知能の提供): RAS環境に最適化された「陸上養殖専用の稚魚」を自社で選抜育種。成長スピードを最大化し、病気に強い「特注の個体」を自給しています。
  2. 飼料開発(コストの支配): 昆虫粉末などを活用した「低魚粉・高効率飼料」を内製化。1kgあたりの増肉コストを他社比で10〜15%削減しており、これがそのまま利益率の差となって現れています。
  3. 加工・物流(鮮度の独占): 養殖場に隣接した拠点で「朝獲れ・当日配送」を実現。空輸コストをゼロにしつつ、圧倒的な鮮度をブランド価値へ変換しています。

なぜ「砂漠」でも生産可能なのか?

2026年、陸上養殖(RAS)は「水槽の集合体」であることをやめました。それは物理学、微生物学、そしてAIが融合した「生命維持プラント」へと進化しています。

■ 99.9%循環の衝撃:水を捨てない「クローズド・システム」

かつての養殖は大量の換水を必要としましたが、最新のRASは水を99.9%以上使い回します。これを可能にしたのが、以下の技術的ブレイクスルーです。

  • AIによる微生物監視: 特殊なセラミック担体を用いた多段階硝化リアクター内で、浄化を担うバクテリアの代謝をAIがマイクロ秒単位で監視。水質が「悪化してから直す」のではなく、「悪化の兆候を先読みして制御する」次元に達しました。
  • 脱窒システムの完成: 従来、水中に蓄積するため換水でしか除去できなかった硝酸塩を、窒素ガスとして大気放出する「脱窒」プロセスが完全自動化。これにより、新しい水の補給は蒸発分を補う程度の、文字通り「微々たる量」で済むようになったのです。

■ 地政学リスクを無効化する「場所の制約からの解放」

水の使用量が劇的に減ったことで、養殖の舞台は海から数千キロ離れた内陸、あるいは水源の乏しい「砂漠」へと広がりました。

この「場所を選ばない」特性は、単なる驚きではなく、「消費地近接生産(ローカル生産)」という最強のビジネスモデルを生み出しました。 輸送コストとCO2排出量を極限まで削ぎ落とすこの手法は、脱炭素社会において機関投資家から「ESGスコアの向上」と「マージンの最大化」を両立する施策として極めて高く評価されています。

■ 「海洋リスク」排除がもたらす定量的価値

海から切り離されたことによる経済的恩恵は、無視できない規模に達しています。

  • 歩留まりの劇的改善: 海水温上昇や赤潮といった「外部環境による全滅リスク」をゼロにしたことで、生産コストの約15%に相当する経済的価値が創出されました。
  • 1.5倍の「製造」スピード: 魚にとっての「理想郷」を365日維持することで、アトランティックサーモンの成長速度は天然の20%まで短縮。資本回転率(アセット・ターンオーバー)を大幅に向上させています。

2026年の勝ち筋:投資家が注目する「3つの高付加価値」

陸上養殖(RAS)の真の価値は、単に「魚が育つ」ことではありません。それは、従来の漁業では逆立ちしても実現できなかった「3つの強力な付加価値」を、科学的に生み出せる点にあります。

1. アニサキス・リスクの「構造的ゼロ化」という破壊力

投資家がマルハニチロの参入障壁を評価する際、最も重視すべきがこれです。

  • 究極のブランド・ガード: 外食チェーンや回転寿司業界にとって、食中毒(アニサキス)は一発でブランドを失墜させる致命的なリスクです。RAS産の「アニサキス・フリー」は、検査コストの削減と法的リスクの回避を同時に実現する「保険」としての価値を持ちます。
  • 解約不能なサプライヤーへ: 一度この絶対的な安全性を顧客に提供した企業は、ブランドイメージ維持の観点から、二度と安価でリスクのある「天然物」に戻ることはできません。これが、マルハニチロに強力な価格決定権(Pricing Power)をもたらしています。

2. 「メディカル・プロテイン」としての新市場開拓

高度な濾過システムと無菌環境が可能にしたのは、抗生物質を一切使用しない「完全無投薬」生産です。

2026年、健康志向が極まった富裕層市場において、これらは単なる食材ではなく「メディカル・プロテイン(医薬的価値を持つタンパク質)」として君臨しています。百貨店の鮮魚コーナーや高級レストランでは、プレミアム価格で取引される「指名買い」の対象となっています。

3. 「エネルギー管理型生産」への進化が弱点を消す

かつてRASの最大の懸念事項だった「高い電気代」は、2026年、テクノロジーによって克服されました。

  • エネルギー自給と最適化: 地下水の一定温度を利用するヒートポンプ技術や、隣接工場からの排熱連携により、空調電力を従来比で30%削減。光熱費を「変動リスク」から「管理可能な固定費」へと変貌させました。
  • AI自動給餌によるマージン改善: エッジAIが水中カメラを通じて魚の「食欲」をリアルタイム解析。食べ残しによる水質悪化を防ぎつつ、飼料効率(FCR:飼料がどれだけ身になったか)を極限まで高めています。最も高価な原材料である「餌」を1グラムも無駄にしない設計が、営業利益率を下支えしています。

勢力図の激変:日本企業が握る「食料インフラ」の主導権

2026年、日本の陸上養殖(RAS)市場は「群雄割拠」の時代を迎えました。かつての海面養殖における「場所の奪い合い」から、現在は「技術特性と消費地への距離」を軸とした高度な陣取り合戦へと移行しています。

■ 三大勢力の競合:それぞれの「必勝パターン」

2026年の国内市場は、以下の3つのプレイヤーが独自の「堀(モート)」を築き、共存・競合しています。

企業・プロジェクト注力魚種核心的技術・戦略主なターゲット
マルハニチロ (1333)サーモン三菱商事との垂直統合。種苗から物流までを完全に掌握。大手小売・外食への大量供給
ニッスイ (1332)マサバアニサキス・リスクをゼロ化した「完全無菌サバ」。高級寿司店・刺身市場
FRDジャパン (三井物産系)サーモン独自の「人工海水」技術。海辺でなくても生産可能。首都圏・都市近郊の地産地消
  • ニッスイの「サバ革命」: 日本人が愛しながらも寄生虫リスクが常に付きまとった「生のサバ」。これを陸上養殖で「100%安全な贅沢品」に変貌させたことで、高級鮨店における「指名買い」の地位を独占しています。
  • FRDジャパンの「立地戦略」: 千葉県富津市など、巨大消費地である東京のすぐ隣で「人工海水」による生産を拡大。海水を引くコストすらゼロにし、都市のど真ん中に「魚の工場」を建てるという離れ業を成し遂げました。

■ 「地産地消(Local for Local)」の勝利

2026年、空輸によるサーモン輸入は、環境負荷への課税(航空燃料税)の導入と構造的な円安により、コスト面で致命的な打撃を受けました。

国産RAS勢が勝てる理由は単純な「安さ」だけではありません。

  1. 輸送コストの消失: 海外輸入勢が「円安」と「燃油」に苦しむ中、国内産はトラック数時間で市場へ到達します。
  2. ダブルの「鮮度」: 循環ろ過による「水質的鮮度(泥臭さゼロ)」と、水揚げから数時間で店頭に並ぶ「時間的鮮度」。この組み合わせが、2026年の消費者が「多少高くても国産RASを選ぶ」最大の動機となっています。

「水産株」を「食料テクノロジー株」として買い直す

■ 財務モデルの変革:ROIC7%への現実的な道筋

マルハニチロは今、陸上養殖を単なる新事業ではなく、高い予測可能性を持つ「インフラ型資産」へと昇華させています。

  • 計算可能なキャッシュフロー: 異常気象や赤潮、魚病といった海洋リスク(へい死リスク)をデジタル制御で排除したことで、収益予測の正確性が劇的に向上しました 。
  • 高回転・低ロスの早期回収モデル: 365日一定の環境で育てる高回転率生産と、工業規格化による加工ロスの削減により、資本効率を最大化しています 。
  • 「事業性評価融資」による資本コストの低下: 安定した生産実績が積み上がったことで、金融機関は従来の担保重視から、将来のキャッシュフローを評価する「事業性評価融資」へとシフトしています 。これにより資本コストが低減し、目標とする ROIC(投下資本利益率)7%以上の達成は、もはや通過点となりつつあります 。

■ 確実な「陸」を支配する者が勝つ

2026年、マルハニチロは「不確実な海」に翻弄される伝統的な漁業会社から、確実な「陸」を支配する「タンパク質生産プラットフォーム企業」へと進化を遂げました 。

異常気象が常態化する世界において、外部環境に左右されない生産体制を持つことは、他社との圧倒的な「優位性」に直結します 。また、「アニサキス・フリー」という代替不能な価値を提供し続けることで、外食・小売業界にとって「解約不能なサプライヤー」としての地位を確立しました。

もはや同社は、景気に左右される一次産業株ではありません 。電力や通信と並び、国家の食料安全保障という最重要インフラを支え、投資ポートフォリオに「確実性」をもたらす強靭なインフラ銘柄となったのです 。

(※投資は自己責任でお願いいたします。株価や配当利回りは執筆時点のデータを基にしており、将来の成果を保証するものではありません。)