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初めて配当金が証券口座に振り込まれた日のことを、私は今でもよく覚えています。金額は、たったの数十円でした。ジュース1本も買えないような、本当にささやかな金額です。それでも、その通知を見たときの気持ちは、今も忘れられません。
なぜなら、その数十円は、それまで私が眺めていた「額面上の資産」とは、まったく違う種類のお金だったからです。画面の中で増えたり減ったりするインデックス投資の評価額ではなく、「実際に使えるお金」が、自分が働かないうちに振り込まれた——。この感覚が、私の投資に対する見方を大きく変える原体験になりました。
今日は、その配当が数十円から月3万円になるまでの間に、私の中で何が変わったのかをお話しします。生活の変化だけでなく、心境や幸福感の変化まで、少し内面的なところまで正直に振り返ってみたいと思います。
額面の資産と、「使えるお金」は違う
私が投資を始めた2017年の頃、私はインデックス投資だけをやっていました。毎月コツコツと積み立て、額面上の資産は、確かに少しずつ増えていました。数字だけを見れば、順調そのものだったと思います。
ところが、正直に言うと、その頃の私には「豊かになっている」という実感がほとんどありませんでした。資産の評価額が増えても、それは30年後の自分のためのお金であって、今日の生活が何か変わるわけではありません。数字が増えていくのを、ただ画面越しに眺めているだけ。どこか他人事のような、不思議な物足りなさがあったのです。
その感覚を変えてくれたのが、高配当株から振り込まれる配当でした。最初はほんの数十円。けれどもそれは、証券口座の中でだけ意味を持つ「評価額」ではなく、引き出して使うことのできる「実際に使えるお金」でした。この違いは、金額の大小では測れないほど大きなものでした。投資が、遠い将来の約束から、今日と地続きのものへと変わった瞬間だったのだと思います。
配当を実際にどう使っているかについては、こちらの記事で具体的に書いています。
月1万円を超えたとき、月3万円を超えたとき
数十円から始まった配当は、投資を続けるうちに、少しずつ育っていきました。銘柄を増やし、増配のある企業を選び、受け取った配当の一部をまた投資に回す。そうしているうちに、ある日、月あたりの配当が月1万円を超えました。
月1万円というのは、ちょうど水道代など、生活の基礎的な固定費の一部をまかなえるくらいの金額です。「毎月かならず出ていくお金の一部を、株たちが代わりに払ってくれている」——そう思えるようになったとき、数字が初めて生活と結びついた手応えがありました。金額としてはまだ小さくても、意味はとても大きかったのです。
そして今、円建ての配当は月3万円以上になりました。ここまで来ると、生活のなかのいくつかの支出を、配当でカバーできるようになります。家計に少し余白が生まれ、率直に「楽になった」と感じられるようになりました。しかも配当は、増配のある企業を持っていれば、毎年少しずつ、そして雪だるま式に増えていきます。「来年は、今年よりもう少し生活が良くなっているはずだ」——そう思える感覚は、日々の幸福度を静かに底上げしてくれています。この長期でじっくり育てる感覚は、金融庁が長期・積立・分散を勧めている理由とも、どこかで通じている気がします。
経済的自由は、仕事への「依存」をなくしてくれた
配当が増えて、いちばん大きく変わったのは、実は生活そのものよりも、仕事に対する気持ちでした。
給料とは別の収入源が育ってきたことで、私の中に「今の仕事に、必ずしも依存しなくてもいい」という感覚が生まれました。極端に言えば、「いつ仕事を辞めてもいい」という余裕です。もちろん、すぐに配当だけで暮らせるわけではありません。それでも、「最悪、なんとかなる」と思える土台があるかないかで、心の持ちようはまるで違います。これは、FIRE(経済的自立と早期リタイア)という考え方が世界的に共感を集めている理由とも、重なる部分があるように思います。
ところが、面白いことが起きました。「いつ辞めてもいい」という自由を手にした結果、私はかえって、仕事そのものに前向きになれたのです。以前は、どこかで「食べるために、やらされている」という感覚がありました。それが今は、「辞める自由があるのに、それでも自分はこの仕事を選んでいる」という感覚に変わりました。同じ仕事をしていても、「やらされている」から「選んでやっている」へと、意味がまるごと入れ替わったのです。
この経験から、私は「経済的な自由度は、ある程度まで幸福度に直結する」と実感するようになりました。お金があること自体が幸せなのではありません。お金があることで生まれる「選べる」という感覚が、人を楽にしてくれるのだと思います。
お金を追いかけた先で、お金への執着から自由になった
さて、ここからが、今日いちばんお伝えしたい、少し逆説的な話です。
ここまで読むと、「クアットは相当な数字マニアで、毎日配当額をチェックしているのだろう」と思われるかもしれません。ところが、実際はまったく逆なのです。配当をここまで増やせたのは、間違いなく、きちんと投資を続けてきたからです。数字から目を背けていたら、配当は増えませんでした。それは事実です。けれども、数字が増えた「今」の私は、その数字をほとんど追いかけていません。
インデックスも配当も、「気づいたら増えていた」くらいの感覚でちょうどいい、と思っています。証券口座も、それほど頻繁には確認しません。この感覚は、以前このブログで書いた「株価の含み益を見ないようにしている」話や、「株価アラートの通知を切った話」と、まっすぐ地続きになっています。数字に一喜一憂しないほうが、結果的に長く続けられるし、心も穏やかでいられるのです。
つまり、私はこういう逆説にたどり着きました。配当という「数字」を追い求めてきた結果、その数字自体への執着からは、かえって自由になったのです。お金を追いかけて手に入れた自由が、お金そのものへのこだわりから、私を解放してくれた——。少し不思議ですが、これが今の正直な実感です。だからこそ今は、生活が少しずつ良くなっていくのを穏やかに感じながら、家族との時間を大切にすること。それが、私がいちばん大事にしていることになりました。
お金と幸福の、ちょうどいい距離感
数十円の配当から始まり、月1万円を超え、今は月3万円になりました。そして、恐らく今年中に月5万円に到達します。
その過程で、私の生活は確かに楽になり、心にも余裕が生まれました。経済的な自由は、やはりある程度まで、幸福に直結すると思います。ここは、綺麗事にせず、正直に肯定したいところです。
ただ、その自由をいくらか手にした後は、お金の数字そのものを、四六時中追いかけ続ける必要はないのだと感じています。追うべきときにはきちんと追い、手に入れた後は、ほどよく手放す。お金と、ちょうどいい距離感で付き合う——それが、今の私なりの答えです。近すぎると振り回され、遠すぎると豊かさを取りこぼす。その中間のどこかに、心地よい場所があるように思います。
あなたにとって、お金と幸福のちょうどいい距離感は、どのあたりにありそうでしょうか。よかったら、次に配当が振り込まれたとき、少しだけ考えてみてください(とはいえ、私も偉そうに書きながら、月末のお給料の入金通知だけは、今でもついニヤニヤしながら眺めてしまうのですが)。
※本記事は情報提供および筆者個人の経験・見解を目的としており、特定の投資手法や商品を推奨するものではありません。投資判断はご自身の責任でお願いします。データは2026年7月22日時点の情報に基づいています。
著者プロフィール
クアット。90年代生まれ、東海地方出身。20代を世界各国で過ごし、4ヵ国語を操りながら多国籍な環境でキャリアを積む。2017年より投資を開始。現在は日本株・米国株を主力に運用し、アッパーマス層(資産4,000万円以上)に到達。海外での経験から「言葉や感情は揺らぐが、数字だけは嘘をつかない」と確信。趣味の域を超えた銘柄分析を、ポエムや感想を排除した「ロジック重視」の視点で発信中。